不安パニック障害 克服

栄養

「ストレスと栄養不足」は
切っても切れない密接な関係にある
パニック障害についになってしまった私

そんな私がどんなきっかけで
どんな食事栄養法で克服していったのか
その経緯を綴っています

きっかけは本当にそんなこと?
って拍子抜けするくらいとんでもなく
些細なことでした

自分にできるかわからないけど
先は見えないけどとにかくやってみる!

そして
変われました

これまで見て見ぬふりをして
目を塞いできた気弱な私にも克服できました

栄養は心と身体にとって強い味方です

ただひとつ
誤解していただきたくないのは
決して薬や病院が悪いと言ってる
わけではありません
病気に対しての服薬は必要です!
不安な症状があれば
すぐ病院の検査に行くべきです!


ですが
これまでの私の症状に限っては
病院に行っても


「原因がわからない」
「ストレスです(以上)」
「症状があっても出せる薬がない」
「休んでください」
「とりあえずこれ出しときます」


と言われることが多かった、、、

大げさですが
病気によっては栄養がお薬代わりになる時代も
そう遠くないと勝手に密かに思っていたりします

私の過去の細かい部分なんかは読み飛ばしてくれて
全然OKですが


「根本的解決」と「正しい知識」が重要なカギ
ということだけ
ぜひ知っていただければ幸いです^^

https://note.com/embed/notes/ncee8247e167e


※症状や回復具合いについては
 それぞれ個人差があります


目次

  1. §私の主な症状
  2. §海外渡航と薬依存
  3. §減薬・断薬のきっかけ
  4. §減薬・断薬の試み
  5. §パニック障害 克服へ
  6. §断薬挑戦の結果
  7. §大切なのは根本的解決と知識
  8. §起こるすべてに意味がある


§私の主な症状

私の生活はこれまでと180度
ガラッと変わってしまい
以前できていたことができなくなって
しまった辛さ悲しさや
また発作が起きるのではないか
という予期不安が常につきまとい
家族や友人にも完全には理解されない
ものだと孤独感を感じていました


私の主な症状としては
・突然の動悸
・呼吸の乱れ
・予期不安
・胸と喉のつっかえ
・不眠
・一人が怖い
・車の運転ができない
・電車・バス・車・飛行機が怖い
・狭い・暗い・高いところが怖い
・夜が怖い
・トンネル・渋滞が苦手
・人が多いところが苦手
・遠出が苦手


これらは経験された方は
お分かりかなと思いますが
発作が起こると自分では
思考回路を止められず
コントロールがきかなくなり
自分が自分でなくなる感覚

絶対起こらないようなこと
起こる可能性が低いことでも
こうなったらどうしようと極端に
振り切った考えを想像してしてしまう

自分でネガティブ思考を増長させ
悪循環を引き起こしている感覚がありました

そして常に予期不安と戦うのです
旦那が出張で不在期間
夜眠りについてふと夜中目が覚めた時は
もう大パニックです

しかし逆に良く言えば!
想像力が豊かで
危機管理能力に長けていて
多方面から物事をよく考えることができる人

ってことじゃない?

無理やり感はありますが…
ポジティブに見方を変えると
そういうことだと
自分を励ましていました笑


§海外渡航と薬依存

産後疲れ果てていても子育てをしなくてはならない

今の状態から少しでも症状を軽くするために
西洋医学の力に頼りお薬を飲むことがまず最優先

医師から
抗不安薬を飲んで授乳しても
それほど問題はないと言われたので
服薬しながら授乳を続けました

発作も減り気分も安定する日が増え
1人で外にも出られるようになりました

ある時の診察で
服薬を3ヶ月以上続けると母乳に
影響が出るため断薬するか断乳するか
どちらかにするよう選択を迫られたのです

その時、看護師さんから言われた一言で
私の心は決まりました
「誰よりもお母さんが一番健康でなければ
 赤ちゃんも喜ばないよ」


約7ヶ月後に決まっていた主人の海外赴任
やっぱり一緒に行きたい気持ちが強く
私には日本に残るという選択肢は
ありませんでした

産後3ヶ月で卒乳させ服薬しながら
海外赴任帯同に向けて回復に努め
体調を整えようと決めたのでした


しかし
病気を治すといっても具体的に
何をすればいいのかわからず
初めての子育てや引っ越しで必死だったので
薬を飲んで治すというよりは症状を和らげ
発作を出にくくさせ誤魔化すといった感じ


いつしか薬がないと生活できない
どこに出かけるにもお守りのように
持ち歩かないと不安
少しでも嫌な感じがしたらすぐ薬を飲む
という薬に依存した生活となっていました


飛行機に乗ることは究極に
恐怖でしかなかったのですが
抗不安薬を飲み頓服薬も持って
家族も一緒だから大丈夫と思い切って
無事出国することができました

渡航先では
幸運にもいい友人たちに恵まれ
発作、不安感、服薬の煩わしさの面
を除けばとても楽しく充実した
あっという間の海外生活を
過ごすことができました

ハードシップが高く決して治安が
いい国ではなかったのですが
想像以上に楽しい日々を送ることができ
望みが叶い、素晴らしい経験ができた
ことに大感謝でした

しかし
お薬問題については
解決しないままその後も飲み続け
5年間の月日が流れていきました・・・


§減薬・断薬のきっかけ

我が子が4歳くらいのころ
「妹が欲しい」と言い始めたのですが
私は言われるたびにきっぱりと
お断りしていました

「そうだよね、でもママ無理だから」
と言っても子供なので納得するわけもなく
「なんで無理なの?」と聞かれる
もちろん理由を知る由もないのですが
欲しい欲しいとしつこい我が子

あのつらい多形妊娠疹(掻痒性じん麻疹様丘疹)
再発症のリスクを冒してまでまた産みたい
と私は思えない
申し訳ないけどそこまで頑張れない


しかも
パニック障害を抱えたまま妊娠、出産なんて
それこそパニックにもほどがある

抵抗したい気持ちが強く
私の気持ちも知らないで簡単に
言わないでよと勝手に心の中で
つぶやきながらも
我が子の気持ちに応えてあげられない
母の無力さに悩んだのでした

その後も「妹がほしい」と
言い続ける我が子

ある時は
泣きながら私のお腹に顔と手をあてて
「かみさま、ママに赤ちゃんがきますように
 どうかおねがいします」
と懇願

親子2人で夜な夜な涙がかれるまで
大号泣…(笑)

ある時は
「このオモチャすてないでよ
 誰にもあげないでよ。
 いもうとにお下がりであげるから
 とっておくの」
と牽制


若干6歳の我が子がどうして
こんなに泣いてまでこんなことを
言うのだろう…と
不思議で不思議でたまりません

でもそこには何か絶対意味があると
どこかで確信していながらも
私一人ではできることに限界があり
ひたすら自分とこの状況と真摯に
向き合うしかありませんでした

もう勘弁してよ
と叫びたい気持ちしかなく
ごめんねとしか言葉がない

叶えてあげられないかもしれない
私が責められているようで
純粋で無邪気な子供の言葉が
心にグサッと突き刺さりました


事あるごとに
「兄妹がいれば楽しいのに」
「一人じゃ遊べなーい」
「遊ぶ人がいないからつまんなーい」
そんな言葉を浴びせられ

でも私は
「だってまたかゆいの嫌なんだもん」
「いい子にしてたらくれるんじゃない?」
などとサンタさんがくれたらいいね的な
感じでお断り



しかしそれがなんと!
ある日の夜
2人目の赤ちゃんを抱っこする夢をみたのです

翌朝・・・
気分がとてもよく
私できるかも
となぜか不思議とそう思ったのです
自分でもビックリ

あんなに否定していたのに
あんなに抵抗していたのに
あまりにも拍子抜けな単純すぎるきっかけで
もしかしたら私できるのかも
やってみようかなとなぜか思えたのです

本当に何が起こるかわからないもの・・・


そうなれば
今飲んでいるこの抗不安薬は中止したい

というわけで
断薬方法をさっそく担当医師に相談しました


§減薬・断薬の試み

医師からの助言を参考に以下のように試みました

  1. 1日に飲む錠数を減らす→1日おき3日おき
    1週間おきと間隔をあけて飲む→必要時のみ飲む
    →必要時頓服薬のみ 
  2. 心理カウンセリングを受ける


減薬を始める前に
医師に言われたのは

「服薬しながらの妊娠出産は可能です
 過去事例もある
 胎児への影響が出ることはゼロではないが
 稀なので心配する必要はない」

・・・
・・・

そうではない
そういうことではないのだ

薬を服用していても発作は起こるし
突然襲ってくる不安感はなくならない

根本的な解決に全くならず
私はこんな生活をいつまで続け
この薬を飲み続けなければならないのか

ここに最大の疑問を感じ

ごまかすだけの火消し作業ではなく
根本的な原因にアプローチしなければ
パニック障害は少しも改善しない

5年間服薬し続けた結果
この病気を克服するには薬では
到底解決することはできないと
強く思いました



§パニック障害 克服へ


断薬と克服へ向けて奮闘し始めた頃
またしてもやってきました
2回目の「海外赴任が決まったよ」
です

そうとなったら行くまでに何とかせねば

心理カウンセリングをはじめとし
対処法や様々な治療法を試し
自分に合った方法を探しました

模索している中
ある会社との出会いがありました
正直当時とても怪しく思ったので…(ごめんなさい笑)
信頼できるかある意味賭けではありましたが
もう騙されてもいいやという気持ちで
一歩踏み込みました


結果的に今ではそのおかげで
ほぼ完治、克服することができた
と言っていいと思っています


ここで私は
分子栄養学の栄養療法と出会ったのです

基本的な食習慣と食事内容を一からすべて見直し
カウンセラー指導の下、自分でできる限りの
食事改善と栄養管理を行いました


・1日3食規則的に食べる
・朝決まった時間に起床する(朝日を浴びる)
・毎食の食事記録をつける
・タンパク質、ビタミン類、鉄を積極的に摂取
・精製された糖、グルテン、添加物を極力避ける


主にこれらをひとつずつ
まずは2~3週間続け
実施後の体感をみる
体調の変化を少しずつ感じながら
さらに期間を延ばし
3ヶ月ほど継続しました

急激には良くなりません
とても時間はかかりました


ですが
以前よりも栄養のとれた食事で体調が整い
思考も気分も上向きに変化しているのを実感し
これは続ける価値はあると感じました
その後約1年ほど継続して
とにかくゆっくり地道に取り組みました

もちろん栄養だけではありません
同時に効果があると思った治療法も
合わせて取り入れ
前進後退の波を繰り返しながら
緩やかに病気は改善していきました


継続することで
より盤石で安定した身体(ベース)を
作ることができ

主人の待つ国へ
2度目の海外渡航は親子2人だけで
飛行機に乗って日本を出国することができました


§断薬挑戦の結果


同時に減薬、断薬も進めていきました
長期間飲み続けてしまったせいで
離脱症状と思われるものが現れました
いわゆる禁断症状のようなもの

頭痛、不整脈のような心臓のトクトク感
めまい、倦怠感、下肢の痛みなど
焦って減らし過ぎると体がかなり
つらいためゆっくり時間をかけて

こちらも何度も進んでは戻り
進んでは戻りを繰り返しながら
約1年間ほどかけて完全な断薬に
成功しました

§大切なのは根本的解決と知識


今はもう昔の身体に戻ることはありません
その心配すら、1ミリもありません

むしろ、病気になる前より強く順応できる
対抗できる身体に変われたという実感があります


長くなってしまいましたが、まとめますと

自身の病気は自分の身体と心とまっすぐ向き合ういい契機となり

ずっと心のどこかでモヤモヤしていた部分である
薬でその場しのぎでごまかさず一生飲み続けないような身体にするという「根本的解決」と

パニック障害とは本当はどういう病気なのか
栄養不足やストレスととても深い関係があり、どのように栄養からアプローチし身体を整えるかという「知識」を得ることで、現在のすこやかな私を手に入れることができました


§起こるすべてに意味がある


我が子がなぜ、あそこまで泣いて、きょうだいが欲しいと懇願し、延々と私に言い続けた、それに隠された意味・理由は何だったのか、今それがなんだかわかった気がしました。

我が子が「妹が欲しい」としつこく言わなければ、パニック障害も治そうとしなかったし動かなかったかもしれない。
いつまでこんな生活を続けるのか、もう嫌だと感じながらもお薬を完全にやめようとも決心できなかったかもしれない。

このままではずっと辛いままだよ、今後もずっと何も変わらないよ、と私に気づかせようとしてくれていたのではと思ったりします。
今振り返ると、パニック障害を克服するチャンスときっかけをくれたのは間違いなく我が子で、「このままで本当にいいの?」と気づきを与えてくれて教えてくれました。

あの時しつこく浴びせられた言葉は耐え難いものがありましたが、それがなければ今の自分はありません。そして自分を変えられなかったはずなので、今では我が子の言葉に心の底から感謝しています。

自分に起こっていることすべてには必ず意味があるのですね。
パニック障害を発症したことも、万年体調不良だったことも、愛娘から言われ続けた言葉も、起こる事象すべてには意味があるということ。


かなりの長文を最後まで読んでいただいた方、本当にありがとうございました^^

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